宍戸みけの全て【自己紹介】

自己紹介

こんにちは^ ^
宍戸みけです。

まずは私が何者なのか、というところと、
なんでblogやってんの?

ってところを挨拶がてら
書いておきます✍

プロフィール見たら普通の人は

怪し〜って思うと思うので。笑

これは誰でも実現可能なんだっていうところを
リアルに感じるためにも、

宍戸みけという人物を
知ってもらえたらと思っています。

これはある意味、
裏向きの自己紹介というか、

ほぼ過去暴露に近いものです。
そっちの方がむしろリアルで
参考になるんじゃないかと思って。

あんまりおおっぴろげには言いたくないことも
包み隠さず言っていきます。

それでは、


失敗して這いずりまわって
人並みに病んだりした結果

努力して
ここまでこれました〜ってところを

公開していきます。

1人で溜め込んでてもしゃーないんでね。

何でblogを始めたのか?

まずこちらからですが。
それは、



もっといろんな人に
この生き方、働き方を知って欲しいから。



これに尽きます。


私は、もっと早く知りたかった。
まぁ、もちろんいつ知っても遅くはないのですが。


でもこれって、いきなり見ず知らずの人に言われても、
信用ならないと思うんですよね。

だから、
私は少しでも

「お、こいつの言ってることはマトモっぽいぞ」
「みけが言うならちょっと試してみよかな」

そんな風に。
友達に教えるみたいに。

リアリティを持って感じてもらえれば。

少しはあなたの人生の転機となる
一助になれないかなーと。

そういう背景で、
まずは自分から名乗ろう。
と思い

自己紹介(過去暴露)していきます。


なので、別に私の詳細は覚えなくても良いので、
というか誰も他人の過去なんて興味ないじゃないですか。


だから、

こんな回り道しても、

こんな失敗しても、

時間とお金を手に入れて幸せになることってできるんだなー

という意味で参考にしてもらえればと思います。
あと、是非、
私と同じ失敗は踏まないでください。笑



それでは頑張って、
自己開示していきます。笑

幼少期


おいおい、幼少期から始まるんかよーっ
しんどー!


って声が聞こえてきそうですが。


やっぱ幼少期って
人格形成において重要で、


ちょっと避けることができなかったのでここから始まります。

私は母子家庭でした。
母1人、娘1人。


自分のお金に対する価値観で忘れられない話があります。


いきなりちょっと重たいので、
注意です。

自己責任で読み進めてください。


両親が離婚した後、
父親が事故で人を轢きました。


これ本当に黒歴史なのですが。


本当に人が飛び出してきたところでの事故だったので、
保険が適応されたりはしたみたいですが。


で、この事故処理のための裁判で、
父親の証言が信頼に足る人間か?
を判断するため、

母親が出廷しました。

私は当時、5年生くらいでした。


母親を苦しめた父親のことが大嫌いでした。


そんな父親のために、
通常行きたいところではない裁判所に出向き、

事故とはいえ加害者である父親のために
裁判で証言をする。




そのこと自体、
当時の私には理解が追いつきませんでした。


もっと衝撃的だったのは、
その裁判が終わった後。



父親に金一封を渡された母親は、
「そんなもの要らない。」
と言って帰ってきたと言うんです。


当時
幼いなりに
家計がギリギリだと感じていたこともあり、


本当に理解できませんでした。




今では、そこには
言葉にできないしがらみや葛藤、想いがあったんだと

何となく想像はできるんですが。。。

とにかく当時は理解不能で、



マジで
「え?なんで???」
となりました。


「もらえるものは貰っとかな!」
って、
生意気にも母親に言い放ったことを覚えています。


今思うと本当に生意気ですね…


でもその時母親は
弱そうに肩を丸めて

「そうやろなぁ。でも、どうしてももらえへんかったわ。」

と言っていました。
その時から私は、

「こんな惨めな思いは嫌だ。
こんな父親から

もらえないお金について
いちいち

こんな気持ちになるのは嫌だ。」


と感じるようになっていました。


他にも、
母子家庭で
文字通り身を粉にして働いてくれる母でしたが、


私の学費などで足りない部分を、
私の祖父である
母の父に、
お願いして賄ってもらうことがよくありました。


その時もいつも、
母は自分の父親に

収支状況などを細かく管理され、
仕事の内容などに口出しをされ、


肩身の狭い思いをしているところを見てきました。
(祖父は、特別に細かい人でした)


そのような経験から、


「自分は、お金に自由になる!
自分で稼げるようになって、
むしろ男の人を養ってやる!」


という

なんとも男勝りな思考に
固まっていきました。

高校大学時代

高校時代、仲のいい3人組のLINEグループ名は、
「ヲタクと社会不適合者」
でした。

▲現存するグループ笑


「ヲタク」部分は他の2人で、
2人ともジャニーズと東方神起の熱狂的ファンだった、
というだけなんですが、


なぜかなんのファンでもない私は、
「社会不適合者」認定を受けてました。


あんまり覚えてないんですが、

まぁ、社会秩序に従うのが苦手で、

自由な校風ではあったんですが、
髪の毛を金髪に染めたり、

本当に朝起きれなくて、

昇格?
なんて言うんだろう?
学級を上がるのが怪しくなるくらい遅刻しまくったり、

なんなら受験期も寝坊したりして
受験やる気あるのかって感じだったんですが…


そんな高校生でした…

大学時代はいろんなバイトをしました。
・居酒屋
・化粧品バラエティショップ
・居酒屋夜勤
・塾講師
・チョコレート催事場販売
・アフィリエイト(バイトではないが…)
・セカンドストリート販売員(知ってますか?)


居酒屋はほんっとに向いてなかったです。
とにかくダメダメでした。

社会不適合者なんで(?)


1〜2個しか年齢が変わらん
遊んでるような大学生先輩に、

ドヤ顔で
どっちでもいいことを教え込まれるのが大嫌いでした。(性格悪い)

単純に
体が小さいので、(脅威の140cm台です)
重たい箱を持つのも苦手でした。

バッシって言うんでしたっけ?

箱に、食べ終わった食器類全部入れて運ぶやつ。。。

そもそも飲食を運ぶのが苦手で、
プライベートでもよく飲み物をこぼすんですが、

申し訳ないんですが
ビールをお客様にぶっかけたこともあります….
ごめんなさい….


普通、「クリーニング代よこせー!」って
怒られても仕方ないくらい
盛大にぶちまけたのですが、

笑って許してくださいました….

人って
優しいですね。

で、3ヶ月で辞めたのに、

なぜかまた始めるという。(やめとけ)

夜勤の高給欲しさにね、、、

それも1ヶ月で辞めちゃいました。

化粧品屋さんも、
塾講師も、
3ヶ月で辞めました。

「やばい。ほんまに社会不適合者やん…」
って、
焦りました^ ^;

幸い、
セカンドストリートは楽しくて、
2年くらい。
大学卒業するまで続けましたね。


それで、
やっぱ自分は
好きなことじゃないと続かんなぁって

自覚しました。

就職

そんなこんなで21歳になりました。


負けん気が高じて、
勉強は好きだったんですが、

大学受験は失敗してました。
で、
元々行きたかった大学卒の人が行ってるような
会社に入ってやるー!

て思ってました。


当時の私の就活の軸は、

①女性としても経済的に自立できるようになること
②自分が好きと思える仕事であること


の2軸でした。
だから、
転勤とかありえん。って思ってたし、
勝手に所属部署決められるのも意味不明。

って感じで、
消去法的に

外資系のコンサル会社に入社できました。

(これは、コンサルみたいな謎の勉強サークルをしてたのでたまたま入れた感じだと思います)

地獄の始まり

ものすごいタイトルにしましたけど笑

いや〜
ほんまに今思うと、
バカでしたね。


まぁ前職の汚名返上のために一言断りを入れておくと、
働き方は完全に部署によって変わります。

で、私は
自分で望んでブラック部署に異動しました。

なぜか。

やりたいことがやりたかったから。

当時の私にとってそれは、

アパレル会社のコンサルティングをするということでした。

ただアパレル会社ってどこも業界的には斜陽産業。

予算にあまり余裕がないので、

コンサルへの支払いも単発的。

必然的に薄利多売的なモデルになるので、

年中忙しい、
そんな部署でした。

もう本当に
高級派遣とはよく言ったもので。

毎日夜ご飯挟みつつ
00:00前後まで働き。

土曜午前に2〜3時間、
日曜に5時間くらい働く毎日でした。

▲当時のデスクです。

普通に考えて、続くわけない。

当時はマネージャーになるまでは続けよう、

みたいな謎の基準があって頑張ってまして。


今思うとそこまで頑張る前に辞めてほんっとに良かったと思いますが笑

(そんなことに自分の人生の黄金期を棒に振るなんて
今想像したら
ただのホラーです…)

ただ、当時の私はシャカリキに働く派だったので、汗

ひたすら働いてました。
お客さんのために。
社内で認められるために。


自分の内側から上がってくるモチベーションではなく、
気づいたら外側からのモチベーションになっていることは

あるあるですが、

こうなると本当にキツいですよね〜。

ただ、当時の私は

念願のプロジェクトに参加できだことで、

余計に頑張っていました。

お客さんも本当に大手で、
業務量が多くてパンクしていたので、
少しでも楽になって本来の業務に集中してもらいたい、

みたいなお人好しも発動し。

最初はまず、
夢でもひたすら仕事し出すんですよね。

次に肌荒れとか食欲不振。
あとイライラしやすくなるとか。

それで今度は
朝本当に起きれなくなる。

朝、目が覚めても、
どうせ起きても仕事やしな…

という理由で起きれなくなるんですよね。

できるだけ仕事と関わる時間を減らしたくなってくる。

というか、できるだけ寝てたいってなるんです。

起きてる間はずっと仕事のことを考えてしまって
苦しいから。

動悸もしやすくなる。

時々呼吸が難しくなる。

落ち着かせようと瞑想をしてみても、
心臓が緊張して余計に締め付けられる。

そうするとそろそろ、
蕁麻疹が出てきます。


イライラしてむしゃくしゃして、
その蕁麻疹を掻きむしったりして。

余計に肌が荒れて。



私なりに、
当時はがむしゃらに頑張りたかったので、
色々乗り越えようと工夫しました。


土日のどちらか1日はどんだけ仕事が溜まっていても
パソコンを開かないとか。

仕事の作業中明るめの音楽をかけるとか。
毎朝カーテンを開けるとか。


毎昼嫌でも外に出てご飯を買いに行くとか。

ただ、いつものようにお昼にコンビニへ行った時。
限界に気付きました。

限界①

当時の家から、コンビニは目と鼻の先にありました。

人通りの多い道路を渡るだけです。

エレベーターを降りて、通りを渡って。
その日もいそいそとコンビニに入りました。


「今日も食べたいもんないなー」
と思いながら

コンビニを1周。

11:30過ぎでした。

迷ったときはいつもチョコチップスティックパンに決めていました。

高校の時からそうなので、
安定感があります。

ただ、本当に喉が通らないと思いました。
買ったって絶対食べない。

それなら買う意味ないしな〜…

ぐるぐるコンビニを回って、
いろんなご飯を検討しました。

おにぎり?いなり?フランクフルト?
メロンパン?カップ麺?スープ?


全部吐きそうになりました。
どれをとっても
食べられる気がしませんでした。

・・・

・・・

あれ?

食べたいものが、ない。

何も喉を通らない。

なぜかその時、
大粒の涙が溢れ出してきました。


全く泣きたい気持ちじゃないのに、
涙が止まらない。


ちょうど11:50くらいになっていたので、
どんどんとコンビニにサラリーマンが増えてきました。

「やばいやばい、ヤバいやつや。」

泣いてることがバレないように、
あえて拭うことをせず、

そそくさと逃げるように

とりあえずコンビニを出ました。

そのまま家に戻ると何かが壊れそう。
という直感というか本能で、


知らない道に入ってぶらぶら
とにかく歩いて、

状況を整理しようとしました。

状況を整理しようと思いながらも、
とにかく時間が欲しかったんです。

冷静になる時間が欲しかった。

あんな涙の流れ方は初めてでした。

感情と体の作用がバラバラでした。

なのでコントロールが効かない。


いよいよ自分やばいんやな。。。


と、やっと気づくことができました。

やっとと言いましたが、

ここで見て見ぬふりをして
体からのアラートにフタをしなくてよかった
心から思います。

とにかく
仕事にこのままだと戻れないし、
どこかに感情を吐き出さないといけない。


でも、思いっきり仕事中。


母親のLINE画面を開いて、
またしばらく歩きながら考えました。

今電話したら心配させるかな…

てか今仕事中やんな…

電話したところで何を話せばいいんやろう…

とにかく家に1人でいるのは危ない。


それで、母親に電話しました。

母親の声を聞いて

余計に涙が止まらず、

一言も続けられなかったこと。

今でもありありと覚えています。

視界にはコンクリート。


自分で自分を管理していると、
どんどん仕事にのめり込んでしまうタチです。

そんな当時の自分が出した解決策は、
「今は仕事を頑張りたいから、生活の方で逃げたい。甘えたい。」でした。

そういうことで、当時5年ほど付き合っていた彼との同棲を許可してもらいました。

その話を母親として、
母親はシングルマザーで苦労しながら
育ててくれた背景があるので、

1人で生きていく力がなくなる、
いざという時に自分で這い上がれないと潰れたときに立ち上がれない、

ということをすごく心配していました。

でも


「今が幸せじゃないなら元も子もないから、
将来また苦労するやろうけど、
今幸せな方が大事

と言ってもらいました。

これは結構ハッとさせられた言葉で。

母親は結構、
未来のために
今、タネを撒かせようとするタイプでした。
(今思うと)

「やりたいことがないなら、
今勉強しとけば選択肢が増えるから勉強しとき。」

「目指すものがないなら、とりあえず1番目指しとけばなんでもできるから1番を目指し。」

「友達は選びなさい。」

そういう教えを受けてきました。

そんな母親から
「今幸せじゃないなら元も子もない」
と言われたのが、

「そんな考え方ありなんや」
となり、
自分的には結構ショッキングでした。

てっきり、
将来のために今は苦労しないといけないと
変な解釈
をしてたんです。

それで同棲は始まりましたが、

忙しさがなくなるわけではないので。
イライラを彼氏にぶつけるようになりました。


朝起きれないのは変わりませんし、
蕁麻疹も定期的に現れました。


「なんでそんな頑張るの?」
と言われました。

なんでか分からなくなっていました。

自分のため。
将来の自分のため。


そう言い聞かせて。
当時、↓みたいな本田圭佑のツイートを見返したりして笑

相当心に嘘をついて無理してました。
これは自分がやりたいと言った仕事だから、やり切らないと。

やりたいことやれてることに
感謝しないと。

と思っていました。

でも、毎日ほんとに楽しくありませんでした。

彼氏に「幸せ?」と聞くと、
「めっちゃ幸せ!」と返事が返ってきたとき、
衝撃的でした。

こんな自信持って「今幸せ」って言える人なんておるんや


って思いました。
私は彼に、

「自分が幸せかどうかが分からへん。
周りからみたら、

いい企業に就職して、
いいお給料もらって、
そのお金でいいところ住んだり行ったり、
好きな服買えたりして、
長年付き合ってる彼氏と同棲もしてうまくいってて、
仕事でも評価されて、

って
どう見ても幸せに見えるから、
幸せに思わなあかんと思うねんけど、

自信持って幸せって言われへん。

自分がわがままなんかなぁ?」

と答えました。

それに対して彼は
深く考えることもなく一言、

「自分が幸せって感じへんのやったら幸せじゃないやん」
っと一蹴され、

幸せかどうかなんて自分しか分からん

自分が1番分かることやねんから

他人から見てどうこうとか関係ないやろ」

と付け加えられました。

このとき初めて自覚しました。

自分は幸せじゃないんや。

結局

社会の枠に当てはまろうとして

死ぬほど頑張って

達成できるもの達成し続けて

疲弊して

達成したものと引き換えに

幸せはどんどん抜け落ちて


抜け殻になっていました。



ものすごく情けない、
やるせない気持ちになりました。

現実を生きている彼が
羨ましくてしょうがありませんでした。

私は
こんな簡単なことも気づかず、

何してるんやろう。

挙句の果てに

仕事にイライラして
彼にもぶつけて

イライラを撒き散らして
生活も後回しにして
人に押し付けて

自分の人生の選択の結果
自分が不幸になることは仕方ないけど、

それに他人を巻き込むなんて

自分はなんて最低で最悪な人間なんだと思いました。

自分は彼と(自由な時間があって)

一緒の時間を過ごすときは幸せを感じますが、
自分は彼に不幸を与えてるなと。


せっかくこれからも一緒にいたいと思う人がいるのに、
このままだと何もかも失う。


そう思いました。



ただ、
当時の私に

転職

とか

退職

とか

の文字はなくて。

留学がしたかったのもありました。
留学費用を貯めるには、
やっぱり給料がいい仕事は辞められない。

いつのまにか
自己実現のためではなく、
留学費用の貯金のためと、

自分が目指した枠を達成するためだけの

空虚な意義で仕事を続けていました。


それからもウジウジと
半年ほど仕事をやり過ごしていたとき。

ちょうどアパレル会社のプロジェクトが2年目に突入しました。

私は後輩の似たようなプロジェクト3本を管理しながら、
新たなプロジェクトを任せたい、という話があがっていました。


もう無理だと思いました。


どんだけ頑張って、
どんだけ生産性を上げて、
どんだけ効率を上げても、

やればやるほど仕事が増える。

なんてアンフェアな社会なんだと思いました。

で、もう感情を無にしよう、って
思いながら
ひたすら毎日をこなすことだけに集中して。

この時の感情はむしろあんまり覚えてないですね。
自分、早よ倒れてくれってずっと思ってました。

それだけ。

「なんで自分は熱も出なければ倒れもせんねん」

「体が弱い方が逃げやすくていいな」

って

ずっと思ってましたね。

まぁ、、なんとかなるもんなんですけどね。

そんな感じで乗り越え、

その後も波は何度もやってくる。

乗り越えるたびにまた波がやってくる。

最初のうちは、

「これ乗り越えたらまた一つ強くなるぞ〜」
とか思って
バカみたいに働いてましたが。


3回目くらいで、
「え、もう無理」

ってなりました。

なぜなら、

「ここまで身を粉にして働く意義」を
見出せなくなってたからです。

一生こんな波を乗り越えていくの?
一生同居している彼に不幸を撒き散らしながら生きていくの?

これで子供なんて産んだもんなら、
子供にも当たってしまうんじゃない?

そもそもまともなご飯を作ってあげられないんじゃない?

こうやって忙しさを言い訳に、

母親が元気なうちに
感謝とか一緒の時間を過ごしたりとかが
できなくなるんじゃない?

みたいな疑問ばかり、
ぶわーーーーーって
浮かんでくるようになったんですよね。

そら一度は、がむしゃらに働く経験だって
いい経験だと思うし、

あって良かった道だと思うんですが、

「この道しかない」
ってなると

地獄だったなと。

みーーんな周りはがむしゃらに働いて、

辞めた人とか休職してる人は弱いってレッテルを貼られて。

で、心が壊れたら回復までに時間がかかる。


これが当たり前になる前に
逃げられたことは、本当に幸運だなと思います。

限界②

ここまで書いてきたように、
何度か波を乗り越えてきました。


でもまた蕁麻疹とかが出だして、
あぁまただ…となりました。

産業医の先生とまた面談を開始して、

とにかく7時間は寝てください。
仕事が終わったらパソコンの電源を落としてしまいましょう。

自分が没頭できる時間は何をしていますか?


などと言われる。

誰のどんなアドバイスも、

それができてれば困ってない

と心の中で言い返す。

そんな毎日、
また、やり過ごしてればいつか大丈夫になる。
そう思って、

感情に蓋をする

苦しい動悸がする心臓に
気づかないふりをする。

心を落ち着かせるためにやっていた瞑想も、
余計に心臓がドキドキしてしまうので辞める。

そうするとだんだん、
毎日が無機質になっていきました。

半年前に応募したミスチルのライブがたまたま当たり、
横浜スタジアムのアリーナ席でミスチルの歌を聴いた時。

なぜか第三者の自分がその場を傍観して見ていて、
みんなが盛り上がっている中、

自分の周りだけ静かだった。

隣で彼氏が、
「やばい、鳥肌立つなぁ!」

と興奮している中、

その感情についていけない自分に焦る自分がいる。


「いつもはすぐ鳥肌とか立つタイプやのに。
なんでや。何も感じへん。」

そんなことばっかりだった。

毎年恒例の記念日旅行も、
いつもなら

この日のために普段頑張ってるんやわ〜って

思えるのに、


なんだか落ち着かない。
心から楽しめていない自分がいる。

そんな自分を隠しながら、
楽しんでるフリを演じる自分にまた、
違和感を感じる。


そういった、
特に休日の自分の心のズレ
蓄積されていきました。

毎週日曜日、
寝てしまうとまた5日間の仕事漬けがはじまる。

嫌すぎて眠りたくない。

毎朝、
できるだけ遅く布団から出る。

そんな日々を積み重ねて

あるとき、

本当にパソコンを開けなくなりました。

いやもちろん開けるんですよ。
ただ、開こうとすると全力で心が反対してくる感じなんです。

心臓が締め付けられて、
手が震えそうになる。

「これ、このまま仕事したらおかしなことになりそう」

そう思って、
なかなか手をつけられませんでした。

とにかく落ち着かせるために、

その日は休む連絡を入れました。

それから2日休んでも、

全くメンタルは回復しません。

「どう…?」

恐る恐る

当時のマネージャーが聞いて来ました。

と言っても、

正直マネージャーのことなんて覚えてません。

自分には

ちょっとやそっとの期間で復職する力はもう残っていませんでした。

辞めよう。

当時、

同時に自己分析を始めました。

結局

自分はなんのために働いてるんだろう。

何をしているとき楽しいんだろう。

自分にとっての幸せってなんだろう。

なんのために生きてるんだろう。

そういう自己問答を繰り返しながら、

一つ見えてきたこと、

やっぱり、この仕事を死ぬ気で頑張る必要性なんてどこにもない。

ということ。

意義が見出せないので、

余計仕事へのモチベーションが全く湧き上がってきませんでした。

「考えても無駄やから、
このまま辞めよう。」

当時の周囲の人には本当に迷惑をかけたと思います。

会社からしたら、

病んだっていい、

休職したっていい。

戻ってきてくれれば。

そういう考え方です。

戻ってきてくれるなら、
知らない人を一から採用して育てるよりも
圧倒的にコスパがいい。

結局組織とは、
そういう考え方で回るんです。

いかに安価に優秀な人を調達して、
なんとなく誤魔化しレベルで
モチベ付けをして頑張ってもらって、

にんじんをぶら下げながら働き続けてもらって
それで大きな売上を作る。

ビジネスの視点に立って考えればそれが正しいんです。

でも、そこには血の通った人間がいるんですよね。

ここら辺は、
ビジネスの勉強をたくさんして
やっと俯瞰して見れるようになってきたことなんですが。

当時もそれなりに

「人間を駒として扱わないと
マネージャーとして成果を出すことはできへんな」

ということには気づいていました。

これが今、「インターネットを使ったビジネス」
をしていることにつながってきているのですが。

とにかく、
迷惑をかけたことには反省していますが、

それでも自分は、

自分をあの時優先してあげられたことに、

本当に良かったと思っています。

あの時無理をしていて

本当に心を壊していたら、

もう回復しなかったかもしれない。

自分のことを優先すべきです。

たった一度の人生なんですよね。

自分のことを大事にできるのはあなただけです。

仕事で成功した人って幸せなんでしょうか?

お金持ちって幸せなんでしょうか?

スティーブ・ジョブスの死に際の言葉と言われている言葉を

紹介させてください。

(真偽は定かではないようですが、本質的な話だと思うので、紹介します。)

死がだんだんと近づいている今、やっと理解したことがある。

・・・

私が勝ち得た富は、私が死ぬ時に一緒に持っていけるものではない。

私があの世に持っていける物は、愛情にあふれた(ポジティブな)思い出だけだ。

・・・

これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、

あなたに力をあたえてくれるもの、あなたの道を照らしてくれるものだ。

・・・

あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、

誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる。

・・・

あなたの家族、パートナー、友だちのために愛情を大切にしてください。そして自分を丁寧に扱ってあげてください。他の人を大切にしてください。


一番大事な
健康で体力のある時期を

誰かの歯車を回すための仕事に
捧げる必要なんて毛頭ないんです。

私は

そのまま辞める決断をしました。

当時は今のビジネスにはまだ出会えていなかったので、

2ヶ月のブランクを経て、

結局普通に転職したんですが。

その時気づいたこともあります。

これは番外編で。

今のビジネスとの出会い

ここから今のビジネスに出会うには、
もう少し時間がかかります。

私なりに色々考えて転職したわけですが、
転職してもやっぱり働きすぎてしまう
ということを経験しました。

それでもう、

会社で働くのは辞めたい、
という思考に変わりました。

ここまで吹っ切れるためには
必要な道のりだったのかもしれませんが。

そこから1人で働くことの勉強を始めて、

今に至るんですよね。

ただ、これもすごくトリッキーで。

なぜって
「1人ビジネスで稼げる」
っていかんせん怪しいんです。

詐欺まがいのものもゴロゴロあります。

でも、お金目的だけでやってる人たちの発信は

なんかわかります。

怪しいよな。でも
本当にこうなったらいいよな。
って思って知りたくなってしまう。

私はあと一歩のところでアパレルせどりに手を出しそうになりました。笑
その経験についてもまた紹介できればと思ってるんですが、

そんな中で、

この人が言ってることは怪しさがないな。

納得できるな。

という人と出会えたんですよね。

それが全ての始まりでした。

その後
今のビジネスの勉強をひたすらして、
今の私がいます。

特に勉強したのは、

・ビジネス基礎
・ライティング
・マーケティング

ですね。

この世界を知ってから、

どこの誰でも

何歳でも

元の経歴なんて問わず

もちろん性別も問わず

自分の生きたいような生き方

稼いでいく方法があることを知りました。



もっと具体的にいうと、

1日1〜2時間の労働で、月30万円〜100万円が手に入る世界です。

しかも、働く場所も問わないので、

今年イギリスへの留学を控える私にとっては

願ってもない環境でした。

ただ、これで得たことは、

経済的な自由だけではありません。

精神的な自由です。

こっちの方が本当に大事です。

実は私は、

このビジネスを始める前、

つまり会社員時代も月収50万円でした。

通常はお金に困らない額のお給料をいただけていました。

でも、

時間がありませんでした。

周囲にも、

年収1000万円超えの知人も複数います。

でも、幸せそうじゃありませんでした。

私はやっと

自分にとっての「幸せ」を定義できました。

それは、

「自分が大好きな人と一緒に過ごす
自由な時間を送れること」

でした。

暖かい時間、とでもいうんでしょうか。

母親のために自分がサプライズのお祝いをしている時。

自分の誕生日ディナーを家族で食べている時。

彼と家でゆっくり鍋をつつきながらお笑いを見ている時。

こういう時に

幸せって感じるんですよね。

なので、私に必要なのは

圧倒的に時間でした。

今のビジネスは、

圧倒的な時間を私に与えてくれます。

これで本当に人生が変わりました。

時間が生まれて、また一つ、

新たな考えが芽生えました。

それは、

「周囲に還元する」

ということ。

心の中から溢れてくる感情を動機に、

仕事したくなりました。

本来仕事って、

こういうことですよね。

他者・社会への価値提供の対価として、

報酬を得る。

今はこの好循環が回っているので、

仕事中も(と言っても週に数時間ですが)

仕事をしていない時も

心から幸せと断言することができます。

そして、

今ここまでの長文を読んできてくださったあなたにも、

この世界を味わって欲しいと心から願っています。

きっとここまで読んでくださったあなたも、

どこかしら

私と似た境遇を抱えているから、

ここまで読んでくださったのではないでしょうか。

そしてもし今辛い思いをしているなら、

その環境からは逃げていい、ということを知ってもらいたいと思います。

私が背中を押します。

せっかく生きてるんだから、

自分に正直に、わがままにいきた方がいいです。

当たり前ですよね。

その当たり前に従っていいんです。

自分の心の声を大事にしてください。

追伸:

※今回は自己紹介ということだったので
「ビジネスについてもっと知りたい」
という方はぜひ、メルマガの方で
深く学んでみてください。

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